峨嵋洞碑石文化村 (아미동 비석마을)
過去と共存するユニークな方法
- 住所
- 釜山広域市西区峨嵋路(アミロ)49
- 料金
- 無料
- 営業時間
- 毎日 常時
- アクセス
- 都市鉄道:1号線土城駅8番出口から徒歩18分 マウルバス:沙下区1-1、西区2でサンサン教会(碑石文化村)下車 駐車:峨嵋村公営駐車場
- 連絡先
- 051-240-4496
紹介
道路を挟んで甘川文化村の向かいにある峨嵋洞碑石文化村。 山腹道路のルネサンス時代を迎え、観光客でにぎわいを見せる集落の一つだ。 韓国戦争の当時、家財道具を背負って疎開しなければならなかった避難民たち。釜山駅に押し寄せる避難民たちに公務員が渡した小さな紙切れには、短い住所が書かれていた。 「峨嵋洞山19番地」。これから、彼らが居を構えて暮らしていく場所だ。それが、峨嵋洞碑石文化村の始まりだった。 日本人の共同墓地があった峨嵋洞一帯の斜面は、解放後はそのまま放置されていたが、釜山に避難してきた人々がここに定着するようになり、徐々に住宅地となっていった。当時は建築資材など皆無だったため、墓地の上に板を置き、石碑や床石を使って家を建てた。墓地の上に家を建てるとは、今なら想像もできない光景だが、戦場よりはましだからと、当時はそうするしかなかったのだ。家を建てる際に収拾した遺骨は、追悼の儀式を行ってから近所のお寺に預けるなど、それなりに死者に対する敬意は表したという。 峨嵋洞一帯の階段や塀には、当時避難民が使っていた碑石があちこちに残っている。石碑や床石は斜面の階段や踏み台として使われたり、住宅の礎や擁壁としても使用された。日本の家紋がそのまま残る古い碑石もよく見られる。 碑石で建てられた数々の住宅からは、歴史の悲しみが感じられる。避けられなかった悲しみの歴史の傷跡とも言えるだろう。その他にも、子どもの頃を思い出させる路地の壁画や、路地の間から見える展望を楽しむこともできる。ここは、生者と死者が共存する村なのだ。 過去は現在につながり、現在は過去を記憶する。南に避難してきた道。その道は、碑石文化村に厳しい生活の痕跡を残し、今日、人々はその道を再び歩いている。そのすべての人生が愛おしい。最善を尽くして生きてきた人生は、それだけで、驚くほど美しい。 峨嵋洞碑石文化村では、ゆっくり歩きながら村の様々な風景が楽しめる。よく知られていない釜山の歴史に、現場で直面するような感覚を覚える。釜山の他の古い街並みとは異なる、言葉では表現できない特別な刺激をくれるのが、碑石文化村なのだ。